三番瀬の円卓会議が終わって

牛野くみ子



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 三番瀬の再生を、2年間議論してきた円卓会議は、この1月22日、堂本知事に最終案を提出し、解散いたしました。
 堂本知事は「3万ページにも及ぶ報告書。こんな大仕事になるとは思わなかった。住民参加で計画が練り上げられたこの宝物を、実行に移す努力を迅速にしたい」と述べました。
 思い起こせば、この2年間、特に後半の1年間はワーキンググループなどができて、週に2回、3回と開催された日もあり、本当にきつかったです。委員でもない私がそう思うのですから、当事者は推して知るべしです。本当にご苦労さまでした。
 会議、会議と連続の、あの慌ただしさは何だったのだろうと振り返ってみますと、知事の任期中に報告書をまとめあげるという時間的制約がありました。ですから、議論を重ねて対立点を解消するというより、どうやって合意に持っていくかということの方が優先され、委員は未消化のまま、次回会議に臨んでいたのでないでしょうか。
 住民参加は初めての試みでもあり、委員、事務局ともご苦労は多々あったことと思いますが、おしりが切られているということが最大の弱点だったと思います。何が合意され、何はまだ議論中であるのかが、委員でさえ分かっていないと見受けられました。それには議事録の公開の遅さも原因の一つにあげられます。
 円卓会議が始まって10ヶ月も経ってから、「今、なぜ住民参加なの?」というシンポジウムが県主催で行われました。それによれば、会議と会議の間は少なくとも2週間はあけないと良い案が出な いこと、事務局は県でなく第三者機関におく、ファシリテーター(会議で合意形成を得るために、参加者の意見を引き出したり、整理して新しいアイデアが出るように支援する人)をおくなどという ことを勉強しましたが、何も活かされませんでした。
 一般市民を交えた円卓会議は、初めての試みでもあり、また、多数決に頼らずにまとめあげたことは評価されなければなりません。しかし、実施に向けての円卓会議がありますので、これらの反省が活かされるように苦言を呈したところであります。
 堂本知事は報告書を受け取ったとき、「これは千葉モデルというよりジャパンモデルにしたい」とも言われました。本当のジャパンモデルには、これらの反省の上に立って成り立つものと思います。 傍聴者である私たちは、円卓会議のサポーターを自負していましたが、“うるさいものども”と受け取った方も見受けました。
 真に三番瀬を良くするために、今後もうるさいサポーターをつとめようと思っています。

(2004年2月)   






ミヤコドリ。日本では非常に少ない美しい水鳥。




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