「関東軍」を豪語し、

 脱法行為を繰り返した千葉県企業庁

  〜三番瀬公金違法支出問題の根源〜

三番瀬を守る連絡会 中山敏則



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 千葉県企業庁は長年にわたって大規模開発を推進してきた。東京湾岸の埋め立てやニュータウン・工業団地の造成などである。
 その企業庁が2016年3月末で解散する。そこで、三番瀬公金違法支出問題を中心にし、企業庁がどういうことをやってきたかをふりかえってみたい。


埋め立ての申請と免許(認可)を同時に手がけた

 私は中学卒業後すぐに川崎製鉄(現JFEスチール)千葉製鉄所に就職した。同製鉄所は京葉臨海開発の先駆けとなった銑鋼一貫製鉄所である。
 1969年7月、千葉県庁に転職した。最初の配属先は港湾工業用水局(のちの開発庁、企業庁)の港湾課であった。担当は東京湾岸の埋め立てである。埋め立ての申請書と免許書(許可書)の作成を手がけた。
 埋め立て申請書と埋め立て許認可書を同時に作成したのは、全国的にみても私ひとりではないかと思っている。当時は、港湾区域内の埋め立て免許は国の機関委任事務であった。千葉県は、国から委任された埋め立て免許事務を、国の承認を受けないまま開発部局(公営企業)に再委任した。これは脱法行為である。そんなことをやったのは、おそらく千葉県だけである。県庁内でも「違法の疑いが濃厚」という声がでていた。県が埋め立て免許事務を知事部局にもどしたのは1973年である。


関東軍とよばれた開発庁(企業庁)

 開発庁(のちの企業庁)は関東軍と呼ばれていた。この点については、企業庁幹部OBの石毛博氏が自著でこう書いている。
    《かつての開発庁は、旧日本陸軍の最強軍団「関東軍」ともアダ名を付けられたほどの精鋭集団であった。》(『ちば開発夜話』千葉日報社)
 私の上司だった杉山正氏(元港湾工業用水局長)もこう述懐している。
    《友納さんがお前らは関東軍だ。大本営の命令を聞かないと。力と金を両方もっているのだからと言われたことがある。》(『座談会 企業庁事業20年を振り返って』)
 ご存じのように、旧日本陸軍の関東軍は旧満州などでやりたい放題をつづけた。独断で満州事変やノモンハン事件などを引き起こした。日中戦争から太平洋戦争にいたる流れは、関東軍の暴走から始まったのである。
 関東軍についてはこんな指摘がされている。
    《関東軍というのは、どんなことでもした軍団であるという意味で日本軍国主義を一身に表現している》(五味川純平『「神話」の崩壊─関東軍の野望と破綻』文春文庫)
    《力を持ちすぎて中央政府の威令が届かぬ出先軍を、「関東軍」と呼ぶのが一時流行したことがある》(秦郁彦『現代史の争点』文春文庫)
 千葉県開発庁の幹部たちも、そのような関東軍のやり方をまねた。「おれたちは関東軍だ。なにをやっても許される」という意気込みであった。


船橋ヘルスセンター関連用地の不正転売

 実際に、埋め立てにかかわる開発部局(開発庁など)は、不法行為や脱法行為、県民への背信行為を繰り返した。その重要な舞台となったのが三番瀬であった。
 浦安、市川、船橋、習志野4市のかつての前面海域を三番瀬とするならば、戦後の三番瀬の埋め立て面積は3000ha強におよぶ。現在の三番瀬海域は1800haだから、三番瀬は半分以上が埋め立てられた。
 引き金となったのは船橋ヘルスセンター用地11万坪の埋め立てだった。1955(昭和30)年のことである。ヘルスセンターを経営する朝日土地興業は、この埋め立て地の一部転売で大儲けした。味を占めた同社は、船橋市の日の出、栄町、西浦の海面50万坪の埋め立てを手がけ、その転売でボロ儲けする。さらに、「遊園地(ヘルスセンター)拡張用地」を名目として18万坪を埋め立て、その転売でも大儲けした。現在の若松団地はこの18万坪の一部である。
 このような土地ころがしは行政が加担しないかぎり不可能である。実際に、ヘルスセンターがらみの埋め立てや土地ころがしには、県と船橋市が深くかかわった。


ゴールデンビーチをめぐる違法行為

 ヘルスセンターは、三番瀬海域の一部(1万坪)を扇状のコンクリート堤防で仕切って巨大な海水プールをつくった。「ゴールデンビーチ」である。入場料をとった。
 公有水面を私的企業が独占し、営利の手段とすることは違法行為である。しかし、開発庁はこの違法行為を認めた。本来は短期間しか認められない占用許可を8年間もつづけた。
 当然のことながら、県庁内部でも、違法の疑いがあるとして「ビーチを撤去させるべき」という声がでた。だが、朝日土地興業と結託(けったく)した政治家や友納知事などの圧力・指示によって「例外措置」として認めることになった。「違法でもなんでもOK」「いけいけどんどん」であった。関東軍とおなじ発想である。
 ゴールデンビーチで同社が県に納めた公有水面占有料は年間50万円であった。ところが、ビーチの入場料は1人300円(のちに800円)である。最盛期は入場者数が1日10万人を超えるほどの盛況であった。つまり、県に払う占用料は1年間で50万円なのに、稼ぎはわずか1日で3000万円に達したのである。朝日土地興業はゴールデンビーチでも巨利を得た。
 ゴールデンビーチが違法であることは県政記者たちも知っていた。ところが新聞はとりあげなかった。関東軍の暴走を批判しなかった戦前のマスコミと同じである。


ディズニーランド関連用地の無許可埋め立てと不正転売

 つぎは浦安の東京ディズニーランド関連用地をめぐる話である。
 東京ディズニーランドの経営企業であるオリエンタルランドは、船橋ヘルスセンター関連埋め立て地の転売で大儲けした朝日土地興業と、三井不動産、京成電鉄の3社が、ヘルスセンターをまねて1960年に設立した。つまり、大規模レジャー施設の建設を名目として埋め立て地を取得し、なしくずし的に土地を転売して巨利を得るという、ヘルスセンターの際と同じ手口をねらったものである。のちに朝日土地興業は三井不動産に吸収合併されたため、現在は三井不動産と京成電鉄がオリエンタルランドの親会社となっている。
 東京ディズニーランド関連用地の埋め立ては遊園地建設が表向きの目的であった。
 浦安沖は港湾区域でないため、建設大臣が埋め立て免許権をもっていた。県はオリエンタルランドと共謀し、ディズニーランド関連用地の一部を無許可で埋め立てた。これが国会(参議院)で問題になった。1967年11月15日の新聞各紙はこんな見出しをつけて報じた。「勝手に造成し売る」「無許可で埋め立て」「浦安の埋め立て 参院で追及」。しかしこの違法行為も、政治力を使ってうやむやにさせた。
 東京ディズニーランド関連用地の埋め立ては103.8万坪である。すべてオリエンタルランドが取得した。取得価格は1坪(3.3m2)あたり1万6688円である。遊園地建設が目的であったが、同社は埋め立て地を次々と転売した。たとえば23万坪を親会社の三井不動産と京成電鉄に転売したさいの価格は1坪4万5000円である。2社はこの土地を「パークシティ」「ローズタウン」という名で販売した。建売住宅である。販売価格は、1区画(50〜55坪)が1億5000万円〜2億円である。1坪200万円以上だから、オリエンタルランドから取得した価格の約50倍である。「パークシティ」(舞浜3丁目)と「ローズタウン」(同2丁目)はすぐに完売した。三井不動産と京成電鉄はこの建売住宅でボロ儲けした。ちなみに、「パークシティ」と「ローズタウン」は2011年3月11日の東日本大震災で甚大な液状化被害を受けた。
 東京ディズニーランド関連用地(埋め立て地)の土地ころがしや、県と三井不動産の癒着にメスを入れようとした川上紀一知事は、「5千万円ニセ念書事件」によって失脚に追い込まれた。マスコミは「5千万円念書」が改竄(かいざん)されものであることを知っていた。しかし、川上知事の言い分はほとんど無視である。私はそのいきさつを県庁内でつぶさにみた。


千葉県は三井不動産の代理機関

 千葉港中央地区185万坪(現在は、千葉市役所などが立地する県都千葉市の副都心地区)の埋め立ては、1963年に県が三井不動産と共同ですすめた。これは「共同事業方式」あるいは「出洲(でず)方式」とよばれるもので、「千葉方式」とともに全国的に有名になった開発方式である。
 この方式は、埋め立て免許は県が取得するが、事業資金は県1、三井不動産2の割合で負担し、その資金割合に応じて造成後の分譲(売却)代金を分けあうというものである。
 同地区の埋め立ては、進出大企業への工場用地ではなく、住宅用地や商業用地、業務用地などの造成を目的としていた。そのため、造成後の土地は原価ではなく時価に近い額で売られた。
 同地区の造成原価は坪1万5000円であったのに、たとえばその一部を電電公社(現NTT)に分譲する際は坪4万円で売った。同地区全体の決算では、造成費294億円に対して売却収入384億円となり、差額90億円が県と三井不動産の利益となった。三井不動産は、その3分の2にあたる60億円という大金を、同地区の埋め立てで手にすることができた。これらのことから、開発庁(企業庁)は「三井不動産のエージェンシー(代理機関)」と揶揄(やゆ)された。


友納知事を怒鳴りつけたオ社専務

 三井不動産と千葉県のそうした関係を端的に示す出来事がある。三井不動産の子会社であるオリエンタルランド(オ社)の高橋政知専務(当時)が、同社への埋め立て工事委託を断った友納武人知事を知事室で怒鳴りつけたことである。これについては、高橋専務自身が新聞紙上でこう述懐している。
    《「委託の件は県議会でも満場一致で採択されております。なんとかお願いできないでしょうか」と私は懇願した。知事の返答は、「前例がないのでお断りする。いやしくも千葉県行政の責任は一身知事であるこの友納にある。私が委託せんと言ったら、絶対委託せん」とつれないもの。この言葉を聞いて、私も頭に血がのぼってしまった。「何を言うか。そんなくだらない返事を聞きにきたのではない」と声を荒らげると、知事の顔はみるうちに真っ青に。私はドアをバタンと閉めて出てきたが、その音の大きかったこと。しばらくは、県庁内での語りぐさになっていたようだ。》(『日本経済新聞』1999年7月15日、「私の履歴書」)
 民間会社の専務が知事室に乗り込んで、大声で知事を怒鳴りつける。その会社に対し、県はいたれりつくせりの便宜をはかる。そんな県がほかにあるだろうか。


三番瀬公金違法支出(ヤミ補償)

 前述のように、県企業庁(開発庁)は「違法でもなんでもOK」という姿勢で野放図な開発を進めた。三番瀬転業準備資金問題もそのひとつである。
 この問題は、三番瀬の市川2期埋め立て計画が策定されていない段階で、埋め立てを前提とし、市川市行徳漁協に転業準備資金が融資されたものである。1982(昭和57)年のことである。県企業庁、市川市行徳漁協、金融機関の三者合意により、金融機関が同漁協に約43億円を貸し付けた。その利子については企業庁が肩代わりすることになっていた。この融資は漁業権を放棄した場合に見合う補償金相当額であり、違法な事前漁業補償であった。そのため、「三番瀬ヤミ補償」ともよばれている。
 1999年11月、この事実が突如として明らかになった。企業庁は翌2000年2月、融資の利息分として約56億円の支出を予算化した。そのため、三番瀬保全団体のメンバーは、その支出を違法とし、当時の沼田武知事と中野英昭・企業庁長に対する損害賠償を求めて提訴した。私は県庁内で「三番瀬公金違法支出訴訟を支援する県職員の会」を結成し、この訴訟を支援した。
 千葉地裁が2005年10月25日に言い渡した判決は、原告の実質勝訴に近いものであった。判決は、利息肩代わりにつながった「三者合意」には瑕疵(かし=違法性)があると認定した。だが、沼田知事らに対する損害賠償請求は棄却した。
 企業庁は2008年11月、東京地裁調停委員会の提案にもとづき、計60億円を市川市行徳漁協に支払った。60億円の内訳は、転業準備資金貸付分が43億円、その未払い利息分が2億円、組合員への追加賠償分が15億円である。結局、116億円(56億円+60億円)を県(企業庁)が公費支出することで「解決」を図った。埋め立ては行われなかったのだから、本当は1円も払うべきでなかった。しかも、同漁協は漁業権を保有したままである。不当支出であり、地裁判決を無視したものである。
 公金違法支出訴訟の原告団、弁護団、支援する会は2006年1月、「三番瀬公金違法支出判決を活かす会」を立ち上げた。会の目的は、「三者合意」には違法性があるとした千葉地裁の判決を活かし、県に対して三番瀬の恒久保全策を求めることである。


5億5千万円の三番瀬貸付金返還訴訟

 企業庁は2011年8月、県信用漁業協同組合連合会(信漁連)を相手取り、貸付金5億5000万円の返済を求める訴訟を千葉地裁に起こした。この貸付金は、市川市行徳・南行徳両漁協が信漁連から借りた3億8900万円とその利息である。
 両漁協は信漁連から借金し、1982年から86年にかけて三番瀬で人工干潟「潮干狩り場」(養貝場)を造成した。だが、事業は失敗した。アサリを撒(ま)いても育たなかったのである。
 企業庁は、三番瀬埋め立て計画を円滑に進めるために1993(平成5)年、5億5000万円を信漁連に無利子で貸し付けた。
 県はこれまで、不正支出によって漁協を懐柔することで、三番瀬埋め立てを円滑に進めようとしてきた。この無利子貸し付けも、そうした県と漁協の癒着にもとづくものであった。このため、「三番瀬公金違法支出判決を活かす会」はこの裁判を監視しつづけた。裁判の口頭弁論を毎回傍聴した。
 裁判において信漁連側は、「補償金による返済が前提だった」「協定書以外の合意があった」などとし、弁済義務はないと主張した。
 口頭弁論では、原告(企業庁)と被告(信漁連)に対し、裁判長がたびたび和解を打診した。「活かす会」はそのたびに企業庁と交渉し、「和解すべきでない」と申し入れた。申し入れ交渉は計5回におよんだ。そのつど、企業庁は「法的に明確な形で解決したい」と答えた。交渉のやりとりは、すべて「活かす会」のホームページに載せてある。
 2013年11月26日、千葉地裁の判決が下った。判決は、「漁業補償の前払いであり、貸付金ではない」とする信漁連の主張を全面的に退け、信漁連に対して全額返還を命じた。信漁連は千葉地裁の判決を不服として控訴した。
 翌2014年6月19日、東京高裁で控訴審判決があった。この判決も信漁連側の主張を全面的に退けた。信漁連が上告を断念したため、5億5000万円の返済命令判決が確定した。信漁連は翌7月、県(企業庁)に5億5000万円を返還した。
 私は、この裁判の口頭弁論を毎回傍聴した。企業庁との交渉にもすべて参加した。全額返還を命じる判決の確定を聞いたとき、これでやっと関東軍を気取った企業庁の脱法行為にケリがついたと思った。感慨ひとしおであった。
 おそらく、三番瀬公金違法支出訴訟の判決で千葉地裁が「三者合意」の違法性を認定しなかったら、そして、その後の「活かす会」のとりくみがなかったら、5億5000万円の貸付金はうやむやにされたのではないか。私はそのように考えている。

(2015年6月)



















三番瀬公金違法支出裁判の傍聴券を確保するため
千葉地裁前で並ぶ支援者たち=2000年10月13日



「三番瀬公金違法支出判決を活かす会」は企業庁に対し、
三番瀬貸付金返還訴訟で和解しないことを何度も要請した
(写真は2013年9月2日の申し入れ交渉)







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