山下弘文さんの思い出

JAWAN運営委員、千葉の干潟を守る会副代表 牛野くみ子



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 (2000年)7月21日、全国の湿地保護運動の先頭に立って活躍してこられた山下弘文さん(JAWAN代表)が、心不全のため亡くなられました。
 山下さんは、諌早湾の国営干拓事業に反対し、干潟の保護活動に一貫して取り組んできました。干潟が閉め切られた後も、「いま水門を上げれば、干潟は復活する」と粘り強く訴えてきました。こうした運動は、愛知県の藤前干潟の埋め立て中止など、干潟の全国的な保全の動きにつながっています。
 こうした功績によって山下さんは海外NGOから高く評価され、1998年、アメリカの環境保護財団が世界的な活動家に贈るゴールドマン環境保護賞を受賞しました。この賞は、「環境保護のノーベル賞」といわれています。
 山下さんは、三番瀬埋め立て計画を撤回させ、三番瀬を未来に残す運動について、「一坪たりとも干潟の消滅は許せない」「三番瀬を守り抜くことは、将来の日本の自然環境が破滅に向かうのかどうかの重要な試金石」と檄を飛ばすなど、多大な支援をおくってくれました。今回の三番瀬公金違法支出訴訟についても、「公共事業の隠された重要な闇の部分に鋭いメスを入れる突破口を開くもの」という、たいへん心強いメッセージを寄せてくれました。
 以下は、「千葉の干潟を守る会」副代表・牛野くみ子さんの追悼文です。









 私はJAWAN(日本湿地ネットワーク)の運営委員の一人だが、まだ1年生。ほかの人ほど山下さんとのつながりが多いわけでない。
 その中でもすぐに思い出されるのは、4年ほど前だったか、山下さんに「こんにちは」と挨拶をしたら、「ああ、石川さんの奥さん」と言われたことだ。それで「違いますよ」と言ったら、「そうだ! 大浜さんの奥さんだ」と言われた。やっと「牛野さん」と思い出すのに時間がかかったが、その時の顔が、「本当に申し訳ないことした」と、顔をクシャクシャにしたことだった。案外シャイだなと思った。
 山下さんと話すのは、さまざまな行事でJAWANの後援をもらうときに電話をするときくらいだった。そうすると、元気な声で、あまり内容も聞かずに、「ああ、いいですよ」と、すぐに明るい声がかえってきた。
 元気で、おおらかで、おおまかで、焼酎が好きで…。夜の会合などは、その日のうちには帰れず、「もうあと何分で明日になってしまう」と、眠い眼をこすりながら話を聞いていたものだ。
 三番瀬に関して「一坪だって埋め立ててはいけない。これは闘いなんだ」と言っていた元気印の山下さんの意志を継いでいきたい。
 諫早の水門を2年以内に絶対開けさせると言っていた山下さん。何でそんなに早くあちらに行ってしまったんですか。

(2000年7月)   



 




山下弘文さん





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