谷津干潟保全の歴史を小冊子にまとめる

『谷津干潟はこうして残った』



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 谷津干潟(習志野市)が保全された歴史を正しく理解してもらおうと、「千葉の干潟を守る会」と「県自然保護連合」は、小冊子『谷津干潟(やつひがた)はこうして残った』を作製しました。

 谷津干潟は東京湾の奥部に残された約40haの干潟です。
 谷津干潟は、もともとは、三番瀬(さんばんぜ)につながる広大な干潟の一部でした。1969年、千葉県は京葉港地区埋め立て工事を開始し、谷津干潟も埋めようとしました。しかし、谷津干潟は大蔵省所管の国有地であったため、公有水面埋立法では埋め立てることができませんでした。
 その後、習志野市が谷津干潟を埋め立てる計画を打ち上げました。そのため、「千葉の干潟を守る会」や「千葉県野鳥の会」(当時は日本野鳥の会千葉支部)、袖ヶ浦団地住民を中心とする習志野市民などが共同で埋め立て反対運動をはじめました。
 また、谷津干潟のど真ん中に湾岸道路(東関東自動車道)を通すという計画ももちあがったため、習志野市と船橋市の住民が、谷津干潟保全運動といっしょに湾岸道路反対の運動をすすめました。谷津干潟の「自然教育園」化と国設鳥獣保護区指定を求め、そこをつき抜けて通そうとする湾岸道路の中止にとりくんだのです。
 こうした運動の結果、谷津干潟は1988年に国設鳥獣保護区に指定され、1993年にはラムサール条約登録湿地に指定されました。そして、1994年に谷津干潟自然観察センターがオープンしました。

 谷津干潟が残ったのは、さまざまな団体や広範な市民による運動の成果です。偶然に残ったのではありません。NHKが2009年12月に放映した「たったひとりの反乱 ヘドロの干潟をよみがえらせろ」は、たったひとりの人物による「孤独なたたかい」によって谷津干潟が守られたと描きました。これは事実を歪曲するものです。
 このパンフレットは谷津干潟保全をめぐる運動の歴史を多くの方々に知っていただくために発行したものです。
 冊子は1部100円です。申し込みなどは047-453-4987牛野くみ子へお願いします。










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