行徳鳥獣保護区での自然復原のとりくみ


行徳野鳥観察舎友の会  東 良一



トップページにもどります
「主張・報告」にもどります


1.「よみがえれ新浜」

 湿地を復原するということはたいへん困難なことです。私たちが15年間おこなってきた試みについて述べます。

 行徳鳥獣保護区の2キロメートルぐらい先は海(三番瀬)です。現在の行徳鳥獣保護区も谷津干潟も、そして三番瀬も、もともとは一体の東京湾沿岸の干潟でした。その景色は、おおざっぱに分けて、浅瀬、干潟、淡水性湿地、蓮田、水田などから林へつながっていました。こうした、どこにでもあった当たり前の自然・景色は、気がつくとなくなってしまいます。最近、保全がさけばれている里山などもそうです。

 1965(昭和40)年ごろから市川市の海で埋め立てがはじまりました。「市川1期」の埋め立てです。この埋め立てをめぐって、東京から来たヨソモノ(都会者)と、物質的にも金銭的にも豊かになりたい地域住民との間にたいへんな対立が生じました。その結果として残されたのが、海(三番瀬)の岸側に造成された53ヘクタールの保護区、つまり現在の行徳鳥獣保護区です。

 埋め立てられた今でも、水鳥は沖合に残された三番瀬と保護区を行き来しています。分断されていますが、水鳥たちは各々の環境を使い分けているようです。

 かつて、この辺りは、鳥好きの間で「新浜(しんはま)」と呼ばれていた場所です。私たちのキャッチフレーズである「よみがえれ新浜」は、この保護区にかつての景観を再現することにより、水鳥がたくさんやって来て(繁殖はとくに貧弱)、保護区としての役割・機能を上げようとする活動です。手はじめに淡水の湿地を造ることからはじめました。


2.生下水を水源にして池を造る

 生下水を水源にして池を造るということは、一見すると奇抜です。しかし、実は生下水は有用な資源なのです。たとえば、「蓮田のバキュームカー」がいい例です。

 若い人は知らないかもしれませんが、堀便所だった昔は、浄化槽の中身を持っていってくれるバキュームカーという車がありました。その車は、集めてきた糞尿を湿地である蓮田に出していきます。排出して1週間くらい経った蓮田へ行くと、たくさんのシギ・チドリが入っているので、私の先輩のバードウォッチャーたちはそれを見るのです。この辺は、そういう光景が普通であった場所です。

 海外には「ソルヴェッジファーム」という下水処理場があります。広い空き地に生活廃水を浅く広げて水を浄化する設備です。これを利用すれば、日本の下水処理場よりも水の循環が保たれます。この設備は、欧米では多くみられると聞きます。私もメルボルンで見ましたが、トリがたくさんいます。虫もたくさんいますが……。

 一方、下水処理場はどうかというと、下水処理場で処理された水はきれいになっていると勘違いされる方があります。下水を集中的に集めて処理するというのは効率がよいように見えます。しかし、実はそうでもないのです。確かに見た目はきれいになっていますが、処理水はどういうわけか窒素やリンが元の水よりも増えてしまいます。

 たとえば、江戸川左岸流域下水道の第2終末処理場が市川市の福栄につくられていて、当初は処理水を市川側(三番瀬)に放流していました。その頃は、放流された処理水は流動性が高いし、真水は海水とはなかなか混ざらないので、毎年、ノリ養殖に被害が出て、かなりの保証金を払っていたと聞いています。

 その後、葛西臨海公園側(旧江戸川)に放流するようになったのです。私は野鳥の会のメンバーとして葛西人工渚の調査を20年ぐらい続けていますが、放流の結果、葛西の人工干潟のシギ・チドリは10倍程度増えました(約1000羽)。しかし、その4分の1の広さの谷津干潟には、葛西の5〜6倍のシギ・チドリがやって来ます。造成された人工干潟は、残された天然干潟にはおよばないという好例です。


3.湿地づくりに多数の人がかかわった

 私たちが保護区で湿地づくりをはじめてから、最初に問題になったことは、自然観の違いでした。

 宮内庁の新浜鴨場に隣接する保護区は、管轄する官庁が多数あります。生活廃水を保護区に入れると言うと、「どこの馬の骨ともわからぬ連中が大蔵省が管理している地面をヘドロにするのか?」となります。行政が持っている保護区のイメージは、アカショウビンやカワセミが住む清流で、シギ・チドリが入る池ではないのです。これは十分説明すれば、理解していただけたことでした。

 一方、私たち行徳野鳥観察舎友の会(友の会)のメンバーの間でも意見の相違があります。池ができて形になると、さまざまな意見が出てきます。もともとの自然を知っている人があまりいないし、最初は2枚の池でしたから、カモが入る池が欲しい人と、シギ・チドリが見られる池が欲しい人で水位などの管理の方法がちがってきます。好みの問題ですから、意見がまとまりません。新浜の自然を知っていた団塊の世代は、埋め立て当時は20歳前後でしたが、今では50歳を超えています。早く復原しないと誰も判らなくなってしまうというあせりもありました。

 しかし、私たちが幸運だったのは、いろんな人がさまざまな方法でかかわってくれたことです。難しいことは判らないがと、黙々と草を刈る人、ゴミを拾う人、それが後に竹内池になり、欠真間三角の美化につながりました。はっきりとした形になると説得力があります。

 このようなとりくみによって、形ができて成果があがってきました。そして、千葉県(自然保護課)と市川南ロータリークラブ、友の会の三者で次の実験池を造ることができました。この結果、協議会が発足しました。

 いちばん嬉しかったことは、今では埋め立てられてもうじき東西線に新しい駅が出来る妙典に残っていた最後の土をダンプに10杯もらい、造成した池にいれたら、2年後に蓮の花が咲きました。それは地域の土壌遺伝子の継承と考えています。


4.試行錯誤のくりかえし

 湿地づくりのなかで起きた出来事を3つ紹介します。

 一つは、タービンポンプ(地上設置型)の設置です。これは、一日当たりの揚水量を考えると、効率はたいへん良いものです。設計者がこのポンプを選んだ理由はよく理解できます。しかし、汚れた水には不適切でした。ゴミや草の根等を吸い込んで、すぐに送水パイプが潰れてしまいました。机上の計算では間違いなかったのに、実際にはダメだったのです。

 ポンプが動かないと水が上がらないので、生き物が死んでしまいます。修理を頼むにも、業者の都合もあって、すぐには来てくれません。水が入らなければ、せっかく復活した生き物が死んでしまいます。
 結局、野鳥観察舎の職員が自分で直そうとしましたが、重労働だし、掃除しなければならない取水口は30キログラムもあります。とても危険な作業です。最初の選択が間違いだったと、行政側と話し合い、水中ポンプを渇水対策で導入しました。友の会でも実績のあったポンプで、水中から水を押し上げるタイプなので、詰まりにくいのです。
 行政は普通、最初に導入した設備は、どんなことをしても使いとおそうとします。しかし、行政と保護側とがざっくばらんに話し合ったことで、こうした成果があげられたと思っています。

 つぎは池底コンクリートです。池を造るためには、底にコンクリートを張らないと水が溜まらないという考えでコンクリートを張りましたが、下に水が浸透しないため横から漏れて予定していない変なところに池ができたりしました。

 もうひとつは、水位コントロールとボツリヌスです。鳥、とくにシギ・チドリを呼ぶにはミリ単位の水位管理が必要です。
 私は毎月、観察会を行っていますが、9月12日に淡水池に飛来したヒバリシギは市川市妙典で1986年に見たきりでした。それが、13年ぶりに保護区で観察されたのです。池を浅くしてやればシギ・チドリが入るので大喜びでしたが、水が減ったため酸素が不足し、死んだおたまじゃくしなどが腐って、ボツリヌスが発生しました。これは、20年ほど前にも別の池で起こった現象です。カモやサギなど約20羽を死なせてしまいました。
 まだ、人間の管理はこんな程度です。水が減少した時の水棲生物の逃げ道をつくるなどの対策が必要となっています。
 まだまだ試行錯誤のくりかえしですが、年齢や職業、立場の違う多くの仲間たちと一つひとつ試しながらここまで形をつくりあげてきています。昨年は復原の一環で米を少し作ってみましたが、だんだんのってくると、鳥の保護区なのに鳥を追う鳴子をつくってしまったりと、脱線ばかりしています。たくさんの仲間と作っていく楽しみをわかちあっています。もっと仲間が増えていけばいいなと。

5.私たちの課題

 つぎに、私たちが課題としていることを述べます。

 それは、まず、主に運営面で、「官営で良いのか?」ということです。行政の仕事は誰がやっても同じように仕事ができなければならないものでしょう。しかし、生き物が相手です。まだまだ、こうしたレベルに仕事はなっていません。また、机上の計算では管理できないという、前述のポンプの話に象徴的に表れていると思います。

 つぎに地域社会での位置づけです。たとえば一般開放の問題があります。トリから見ると、53ヘクタールの面積は非常に狭いものです。ここに人が入ることにより、人間のための施設をつくることになっていくわけです。ゴミ箱やベンチを設置してヤブを刈り、あげく、除草剤や殺虫剤の散布など、どんどんエスカレートしていく可能性があります。こうなると、なんのための保護区かわからなくなってしまいます。保護区には、保護区にしか残せない自然があるのではないでしょうか? そして、多くの人に、このことを理解していただく努力をもっとしなければなりません。このほかに他の保護区との連携・役割分担という問題もあります。

 最後に、私たちにできる復原は、まだこんなものです。たとえば、建設省が進めている河川管理では、自然復原の流れがあります。しかし、市民の意見は、花壇やコスモス畑を求める声も強いものがあります。もともとの自然は何なのか。失ったものは何なのか。これらの問題をもっと多くの人に考えて欲しいし、理解して欲しいと思います。そういうアクションをもっとしなければならないと思っています。

(1999年10月)   










湿地づくりと野鳥



土手づくり





湿地がほぼ完成





家庭から出る排水を利用





湿地づくりに大きな威力を発揮しているトラクターの前で





水質浄化に大きな威力を発揮している水車。これは、宇井純・沖縄大学教授の指導で設置した。





オグロシギ。今年(1999年)は3羽来てくれた。





ダイサギ(ヒメガマの周囲でエサをさがす)





セイタカシギ(抱卵中)





コチドリ









★関連ページ

このページの頭にもどります
「主張・報告」にもどります

トップページ | 概 要 | ニュース | 主張・報告 | 資 料 |
干潟を守る会 | 自然保護連合 | リンク集 |